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2012/01/20 2011年度第6回CIAS談話会(1月20日)のお知らせ

下記のとおり、2011年度第6回CIAS談話会を開催します。
オープンな研究会ですので、ご参加をお待ちしております。

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日時:2012年1月20日(金)16:00~
場所:京都大学地域研究統合情報センターセミナー室(稲盛財団記念館2階213号室)
発表者:増原善之(京都大学地域研究統合情報センター研究員)
発表タイトル:地域史からみたラオス・ランサン王国の成立と分裂 ―「内陸交易国家」から「半港市国家」へ―
(本発表は1月27日(金)に予定されている学位論文公聴会の予行演習として行われます)

発表要旨:
本発表は、東南アジア大陸部内陸地域における国家の生成と変容を明らかにするため、14世紀から17世紀までのラオス・ランサン王国を事例として取り上げ、同王国の成立、繁栄、分裂の要因を「交易」を中心とした経済的視点から検討し、従来のラオス前近代史研究が行ってきた説明とは異なる、新たな知見を提示しようとするものである。
まず、14世紀から15世紀にかけてランサン王国は、アンダーマン海沿岸やタイ湾沿岸を始めとする「南方海洋地域」よりも、中国雲南地方を始めとする「北方内陸地域」と密接に結びついていたことを指摘し、同王国が「内陸交易国家」として成立・発展したことを明らかにする。続く16世紀では、東南アジアの国際交易が急速な発展を遂げた「交易の時代」において「南方海洋地域」から東南アジア大陸部のランサン王国を含む内陸地域に対する商品(森林物産、鉱物資源等)需要が増大し、それに応える形で、ランサン王国の経済的ネットワークが南東方向へ拡大するとともに、経済活動の重心も北から南へ移動したことを示す。そして、ランサン王国にとって、16世紀という時代は、「内陸交易国家」から、地理的な意味で海に面してはいないものの、国際海洋交易と密接に結びついた「半港市国家」への転換期であったことを明らかにする。
さらに、「黄金時代」とも呼ばれた17世紀について、同王国内に成立していた「商品流通システム」の実態を検討するとともに、同王国に繁栄をもたらした経済的要因を明らかにする。また、当時のアユタヤ、カンボジアおよびベトナムなど近隣諸国との政治的・経済的関係にも言及しつつ、「交易の時代」の終焉とともに、ランサン王国の外国交易も徐々に減少し、同王国の「黄金時代」も幕を閉じた可能性があることを指摘する。そして、18世紀初め、同王国がビエンチャン、ルアンパバーン、チャンパーサックの三王国に「分裂」したのは、従来説明されてきたような王族間の派閥抗争の結果というよりも、16世紀から17世紀にいたる経済成長がもたらした地方国の政治的・経済的自立の表れ―地方政権の勃興―と見るべきとする仮説を提起する。
最後に、東南アジア大陸部内陸地域における国家の特質を同沿海地域と比較しつつ、以下のように述べる。まず、沿海地域では大河川の下流域に外国交易の過程で物資が集約される交易港と、そこから生み出される富を管理せんとする政治権力とが結合した「中心」が形成されるが、これは国家そのものであり、地方にとって政治・経済的に凌駕しえない存在として立ちはだかる。一方、内陸地域には、大河川の下流域のように物資が1点に集約される場が存在しないため、それぞれの地方において相対的に物資の集約に適した地点と在地の政治権力とが結合して「中心」が形成されるが、これは沿海地域のそれとは異なり、地方的な「中心」である。王都も比較優位を有するとはいえ、地方的な「中心」の1つであることに変わりはなく、王都を含む地方的「中心」の並存が常態化していた。したがって、多数の首長国を従える王国といえども、その内部に地方ごとの複数の「中心」を内包しており、国王の政治権力がひとたび弱体化すると、これらの地方的な「中心」が自立に向かい、王国の分化が容易に進行するという特質が見られた。これは、なぜ、東南アジア大陸部内陸地域に強大な王国が成立しえなかったのかという設問に対する回答の1つであり、同地域の歴史研究に対する問題提起ともなっている。