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地域情報学プロジェクト

20世紀前半のサハリン島に関する歴史的記憶(h25~h26)

個別共同研究ユニット
代表: 兎内 勇津流(北海道大学スラブ・ユーラシア研究センター・准教授)
共同研究員: 井澗 裕(北海道大学スラブ・ユーラシア研究センター・COE学術研究員)、丹菊 逸治(北海道大学アイヌ・先住民研究センター・准教授)、土屋 範芳(東北大学大学院環境科学研究科・教授)、兎内 勇津流(北海道大学スラブ・ユーラシア研究センター・准教授)、三木 理史 (奈良大学文学部・教授)
期間: 平成25年4月~平成27年3月(2年間)
目的:  20世紀前半はサハリンにとって、激動の時代であった。すなわち二度にわたって日露・日ソ間の戦場となり、その都度国境線が大きく変わったのである。それと同時に、住民構成も大きく変わった。そのため、サハリン島には、日本によって建立された記念碑と、ロシア・ソ連によって建立された記念碑の両方がある。また、日本国内にも、サハリン・樺太史にまつわるさまざまな記念碑が建立され、現存するものもあれば、すでに現存しないものも存在する。これらは、それぞれの社会の中に歴史的な記憶をとどめるために機能した。本研究は、そうした20世紀前半のサハリン島史にまつわる島内、および日本国内の記念碑等のありかた、およびそこから読み取れる日本およびロシアにおける歴史伝承のされ方を読み解くことを目的とする。また、併せて、スラブ研究センターが最近入手し た、北サハリンの油田開発に関する写真帳を学際的に分析し、その忘れられた記憶の読み解きを試みる。
研究実施状況: -平成25年度-
 本年度は、親ユニット「非文字資料の共有化と研究利用」などと合同ワークショップ「非文字資料研究の理論構築に向けての事例検討I」を、2013年6月30日に北海道大学で開催した。
 その後、7月20日に、北海道大学において、メンバー全員の参加による打ち合わせを行い、2014年1月11日には、仙台市で、日本による北サハリンの石油開発史を扱った研究会を、本ユニットの第1回研究会として開催した。
 また、関係資料を広く公開し、今後の学際的な利用を推進するため、植村氏旧蔵アルバム3冊を含む5冊の写真帖をデジタル化し、併せてキャプションの翻刻を行い、2014年2月末に、これをウェブサイト上に公開した。

  -平成26年度-
 平成26年度は、研究会を2回開催した。
 第1回(11月1日、札幌)は、前年度に引き続いて北サハリンの油田開発史を取り上げ、2本の研究発表のほか、この分野における代表的研究書『北樺太石油コンセッション1925-1944』の著者村上隆の没後10年を記念して合評会を行った。
 第2回(2月16日、札幌)は、少し間口を広げ、保証占領期の北サハリンにおける司法、戦前の樺太・北海道絵はがきに描かれた少数民族、および、ニシンの産出における北海道(とくに後志地方)と樺太、および関東など消費地との相互関係をとりあげた報告がなされた。
 なお、この回はロシアの研究者を招き、記念碑の問題など、共通のテーマを設定して意見を交換することを考えていたが、諸般の事情から実現できなかったことは残念である。 この他、前年度に引き続いて、画像・地図資料を、ウェブサイト上のデータベースで公開する仕事を進め、北樺太の2種類の写真帳、および保障占領時代の測量に基づいて編集された地図を追加収録した。  なお、このウェブサイトは、ロシア語を併記するなど、国際的に利用されることを想定して作成している。 また、研究終盤の2015年初めになって、日本カメラ博物館に北サハリン保証占領関係の写真アルバム8冊が収蔵されていることがわかり、その調査を実施した。
研究成果の概要: -平成25年度-
 北海道大学スラブ研究センター所蔵の北樺太写真帖については、その内容を関係文献と照合した結果、農商務省地質調査所が1919年と1921年に、海軍の委託と支援を受けて行った北樺太産油地(一部産炭地)調査に技師として参加した、植村癸巳男氏(1893年~?)のアルバムであることが判明し、海軍の輸送艦の利用、平取アイヌの協力など、当時の調査の実情の一端を明らかにすることができた。この調査の資料の多くは、関東大震災で地質調査所が被災し焼失したと考えられ、その意味でも有意義な発見である。
 日本による北樺太の石油開発は、その後、北辰会(1921年設立)を経て、北樺太石油㈱(1925年設立)に引き継がれ、ソ連とのコンセッション契約によって採掘が行われたが、1944年に終了を余儀なくされた。北樺太石油㈱の資料の一部は、帝国石油を経て、現在は国際石油開発帝石㈱に引き継がれていることが判った。また、スラブ研究センターが所蔵する、牛島信義氏旧蔵の北樺太石油調査関連資料の素性についても、明らかにすることができた。
 戦前期日本が樺太において行った調査は、朝鮮、台湾など、他の植民地と並ぶものであるように思われるが、日本の地質学の歩みを回顧して1953年に刊行された『日本地質学會史:日本地質学会60周年記念』において、樺太についてはその道の専門家が執筆せず、叙述が南樺太に限られて、北樺太については触れないなど、主だった関係者は存命だった中で、一種の空白がある模様である。

-平成26年度-
 北樺太の石油開発の初期において、ロシア側ではスタへーエフ商会が重要な当事者企業と目されてきたが、その実態はほとんどわかっていなかった。今回、E. バールィシェフの研究は、この会社が第一次大戦中に露亜銀行などの融資を受けて急成長したものであること、内戦期におけるこの会社と日本の資本との関係を、三菱の文書など具体的な史料によって裏付けるものであった。
 また、井澗は、これまでほとんど利用されてこなかった、ソ連政府に移管されて現在はウラジオストクの文書館が収蔵する保証占領期北樺太の裁判記録を利用し、正教会との関係に見える日本の軍政統治の一端を明らかにした。なお、最近注目されつつある日本軍の軍法会議の史料としても、きわめて少ない実例として重要と思われる。
 この他、今年度、スラブ・ユーラシア研究センターが入手した戦前の樺太2万5千分1地図を検討したところ、オハとその周辺を1920年代に測量して作成した8枚組は、これまで存在が知られていないものであることが判明したため、これを速やかに紹介し、公開することにした。
 丹菊は、札幌市立中央図書館で公開されている絵葉書データベースを題材に、樺太先住民の絵葉書写真の特徴や、北海道で製作された絵葉書との親縁性を指摘した。
 日本カメラ博物館所蔵の北サハリン保障占領関係アルバムは、撮影日時、場所、撮影者等のデータを欠くものが多いが、軍当局の指示で作成された記録写真とみられ、発端となった尼港事件の対応から、ソ連政府委員に引き継ぎをして撤退するところまでを含むこと、一部を除いて多くがまだ知られていない写真であることを確認した。
公表実績: -平成25年度-
 本研究ユニットの活動の一環として製作したウェブサイトは、「極東ロシア・シベリア所蔵資料ギャラリー」の「サハリン島写真館」として、2014年2月末に公開された。
  URL http://srcmaterials-hokudai.jp/sakhalin_photo.html

-平成26年度-
【第1回研究会】
平成26年11月1日(土)
会場:スラブ・ユーラシア研究センター大会議室(4階403号室) (スラブ・ユーラシア研究センター,サハリン樺太史研究会,科研費基盤(B)「サハリン(樺太)島における戦争と境界変動の現代史」(研究代表者:原暉之)と共催)
・第Ⅰ部 研究報告会
司会: 兎内勇津流(北海道大学)
エドワルド・バールィシェフ(筑波大学)「北部サハリンと『イワン・スタヘーエフ商会』の実業活動(1915~1925年)」
寺島敏治(元釧路市史編纂事務局・地方史研究協議会)「岡栄『サガレン日記』に見るオハ: 1934-1936」
・第Ⅱ部 ラウンドテーブル「村上隆著『北樺太石油コンセッショ    ン1925-1944』をめぐって」
司会:田畑伸一郎(北海道大学)
パネリスト:原暉之(北大名誉教授)、天野尚樹(北海道大学)、白木沢旭児(北海道大学)
平成27年2月16日(月) 
共催:サハリン樺太史研究会
会場:北海道大学スラブ・ユーラシア研究センター小会議室 (401)
井澗裕 (北海道大学)「北サハリン軍事占領期の亜港パクロフスカヤ教会堂をめぐって」
丹菊逸治 (北海道大学)「絵葉書資料の中のサハリン(樺太)と少数民族」
植田展大 (東京大学)「戦間期日本における水産物消費―北海道・樺太漁業との関係を中心に」
本研究により、追加した写真帖2冊の画像は、2015年3月に、以下のサイトに追加収録した。 http://srcmaterials-hokudai.jp/sakhalin_photo.html
また、オハ付近2万5千分1地図の画像は、同じく2015年3月に、以下のサイトに追加収録した。 http://srcmaterials-hokudai.jp/sakhalin_map.html
研究成果公表計画
今後の展開等:
-平成25年度-
 初年度は、北サハリンの石油探鉱・開発史を取り上げたのみで、他の歴史的記念碑・記憶等を取り上げることができなかった。
 2年目は、関連する科研費プロジェクトとの協力により、サハリンの歴史家を招いて、日露の両面から、20世紀前半(日露戦争から日本の敗戦、日本人の「引揚げ」とソ連によるサハリン全島支配の開始まで)を取り上げ、記念碑をはじめとする「歴史的」画像資料を収集し、ロシア側とこれを交換しながら、日露それぞれにとってのサハリン史に対するイメージを、戦争や産業、宗教、民族、地理など多面的・学際的に検討することとしたい。
 研究会は2回(うち少なくとも1回は札幌で)開催し、その成果は、メンバーが個別の論文等で発表することを考えている。

-平成26年度-
 本研究に関連しては、とりあえず、井澗氏、バールイシェフ氏が、近日論文を発表予定である。
 画像データベースの構築については、とりあえず保証占領期前後の北サハリンに重点をおいて収集と公開を進めてきた。その結果、ユニークなサイトができつつあると自負するが、基本的なものが見られるサイトとは必ずしもなっていない点と、北サハリンという、非常に限定された領域に絞ってきたため、それを拡げること(たとえば、シベリア出兵画像など)、および、サハリン側との交流をはかっていくことが今後の課題である。